2008年07月25日

猫のひたいの“遺産分割”

PDR_0052.JPG                    2006/11/02 06:00

先日、テレビでなかなか面白い話を聞いた。俳優の渡辺徹の話である。彼の叔父で、かなり大風呂敷の男がある酒の席で、自分に10億円あったらどうのように使うか、という話だという。いろいろな個人的な使い道以外に「徹には1億円やる、おまえには6000万円、おまえには2000万円」というように話が進んだそうだ。普段から叔父と仲の悪かった叔母が「私には、いくらくれるの」と聞いたところ「お前には、なんにもやらん」と答えたそうだ。そして、それ以来二人はお互いに口もきかず仲違のまま、その叔母は亡くなったと言う話である。

この話は、バラエティー番組なので大いに受けて盛りあがった。このような話は世間一般によくある話であり、とくに巣鴨に来られるお年寄達からもよく聞くがあまり笑える話ではないほど現実味を帯びている。この程度の仮定の話でも人は疑心暗鬼になるものである。よくこの町でもこんな話を聞く「実家の母が亡くなってから田舎からなんにも送って来なくなった」「盆暮に帰省していたが、嫁さんの代になってから帰省してもあまり歓迎されないし、居心地が悪い」と言う。さらに極めつけは「もうあんまり帰って来ないで」と言う兄嫁さえいるという。日本中で家族の柱が、なくなりかけている。

この問題の根底には、まだ分けてもいない「幾らでもない財産」が絡んでいる。いわゆる、法的に農家は農地を分割しなくてはならず、都市部では猫の額ほどの「豪邸」の分割の問題である。50坪を3人兄弟で分ければたったの15坪である、この頃15坪の建売が増えているのもこんなところからだろうか。とにかく、今の世の中は「平等」というキーワードが「全知全能の神」である。新民法が出来た頃「民法いでて忠孝滅ぶ」と言われたものだが、その頃は「まさか、そんな馬鹿な」と思ったが、実際には忠孝どころか相互不信と妬み嫉みのもとにさえなっていると思わざるを得ない。「平等に分割」という耳障りの良い言葉が、家族や一族で落ちこぼれを防ぎ助け合うという淳風美俗を損なってしまったのである。だからと言って、戦前の「家制度」に戻れと言うわけではないし、また戻れるわけもない。しかし、社会保障という大げさな事ではなく、家族の誰かが困ったなら助けてやる、という気構くらいは持つべきである。社会保障とは本来、家族の問題だと思うのだがどうだろうか。

posted by 語り部同人 at 15:23| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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