2008年07月25日

昭和20年代の歌声の風景

pic_14.jpg                   2006/11/08 05:00

先週、童謡歌手の川田正子さんの訃報に接して以来、久しぶりに昭和20年代のいろいろな風景を思い出した。歌による記憶というものは、かなり鮮明に残るものだ。敗戦をはさんで前後1、2年の子供の頃の記憶を今でもかなりハッキリと思い起すことが出来る。それは、どうもその頃聞いた歌声に関係が有るようだ。私の家の前には防空壕が有り、その隣に今なら“ドレメ”と言うのだろうが当時は“杉野”だという洋裁教室があった。その教室から毎日のように昼食の後に女性合唱の歌声が聞こえて来た。まず、聞こえて来るのは従軍看護婦の歌であった“婦人従軍歌”である。婦人従軍歌のメロディーは夏の甲子園の高校生達が歌っている応援歌にもよく使われている。今でも全国の女子高などでは使われていることと思う。昔、なんの気なしに口ずさんでいたが、メロディーの優しさに比べて歌詞はさすがに看護婦さん達の歌なので凄まじく壮絶である。こんな歌詞だ。

火筒(ほずつ)の響き遠ざかる 跡には虫も声たてず吹き立つ風はなまぐさく くれない染めし草の色     味方の兵の上のみか 言(こと)も言わぬ敵(あた)までも     いとねんごろに看護する 心の色は赤十字

この様な歌を彼女達は毎日歌っていつの日か、自分達も看護婦として従軍する決意だったのだろうか。子供のこととて、言葉の意味は良く分からなかったが、とにかく神々しくも有難く聞こえたものである。「婦人従軍歌」は明治27年に新宿駅から戦地に赴く看護婦の姿の凛々しさに心打たれた作詞家が一夜にして書き上げたものだと伝えられている。世界的に見てもこの様な歌は珍しいと言うことである。

次ぎに聞こえて来るのは「愛国の花」というラジオ歌謡として愛唱されていた歌であった。この「愛国の花」も優しい歌であったが奇数な運命をたどることになる。自分の記憶にはないが、終戦直後NHKの放送のテーマ曲にも使われていたそうだ。NHKに貼りついて検閲していたGHQの検閲官も良い曲だとして何の問題もなかったのに“あの曲は戦時歌謡だ”と告げ口した者がいたらしい。そして、いまに至るまで「あの歌」がロックされ続けてナツメロにも登場しない。歌詞を読んで見てほしい。どこが好戦的なのだろうか。

1   真白き富士の気高さを  こころの強い盾として       御国(みくに)につくす女等(おみなら)は  輝く御代の山ざくら  地に咲き匂う国の花                   2   老いたる若き諸共(もろとも)に 国難しのぐ冬の梅 かよわい力よくあわせ 銃後にはげむ凛々しさは  ゆかしく匂う国の花                                               
この頃では、巣鴨の町にある「昔の歌の店」で老齢の婦人達によって静かに歌われ続けているのみである。この「愛国の花」は、彼女達の青春の賛歌であり、さらに過去を弔う挽歌でもあると思われる。 それからしばらく経って、朝鮮動乱が勃発した昭和25年頃の或る日、同じ女性達が血相変えて大きな赤旗を持ち「インターナショナル」を歌い「聞け万国の労働者・・・・我等は赤旗まもる」と歌い出したのには、正直驚いた。イディオロギーが、かくも人を変える事に恐れるとともに嫌悪すら感じたものである。それが私の“赤旗アレルギー”のゆえんでもある。
posted by 語り部同人 at 15:57| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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