2008年07月25日

終戦直後の“熊沢天皇”

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この頃、また“古事記”の人気が出て来て、本屋さんでも良く売れているらしい。4年ほど前にも文芸春秋から三浦佑之著の“口語訳 古事記”が出版されよく売れたそうだ。内容は口語体で「あれは、昔々のことじゃった・・・・」というような書き方なので非常に分かりやすく読みやすく書かれていたと思う、だが、いかんせんあまりの大部なので持ち歩きも出来ずてこずった人が多かったのではなかろうか。

さらに産経新聞が連載した八木荘司という論説委員の書いた「古代からの伝言(4部作)」は、さすがに新聞記者の書く書き方は臨場感があって面白いと感心した。古事記も日本書紀も網羅してダイナミックに物語を展開しているので一気呵成に読むことができる。是非とも若い人達におすすめしたい書籍である。せめて、これから留学生として外国に旅立つ人にはぜひ携帯してもらいたい。「日本ってどんな国」と言う質問に対して日本の伝統文化を誇りを持って答えてもらいたい。

NHKでもラジオで、森繁久弥さんなどが古事記の物語を放送するそうだ。テレビでなくラジオだというのがなかなか良い。古事記がふたたびブームになったのは、まぎれもなくいま問題になっている皇室典範のおかげである。小泉首相でさえ「愛子様のお生みになられた男子でもダメだということですか?」とトンチンカンな話をするほどだ。国会議員諸氏は「これから勉強して」と言ってなんの恥じらいもない。白髪のロボットじいさんと国連ボケばあさんは、なにを勘違いしてか皇室を恫喝しさえしている。まあ、今回の問題提起は我々日本人にとって国柄を考える良い機会だと思う。国の成り立ちや国の有りようを腰を据えて語りあったら良かろう。

ギリシャ神話やローマ帝国興亡史や旧約聖書は良く知っていても、日本の神代の時代から言い伝えられて来た物語を知らないというのは、いささか変な話だ。この機会をぜひ活かしてもらいたいと思う。古事記、日本書紀を一読すると、おのずと結論が出るはずだ。物語の中に書かれている事実こそ125代、2665年の時代を律してきた「不文法」と考えるべきである。

さて、皇統の問題で終戦直後こんな事があった。名古屋で雑貨屋をやっている熊沢寛道という人が「自分は544年前の南北時代に北朝に皇位を奪われた南朝の最後の天皇である後亀山天皇の末裔である」という1通の手紙を出した。GHQも一応調査したところ、明治時代から彼の父・熊沢大然という人も政府に訴え続けていたそうだ。不敬罪という罪があった頃、ながい年月「おとがめなし」だったのは、その話はあながちウソとばかりは言えないようだ。

このへんが、長い歴史のある日本という国の面白いところである。GHQは利用価値ありとふんで、米軍紙「スターズ・アンド・ストライブス」や「ライフ」に載せて世界中に喧伝した。その内容は「56歳の商店主、ヒロヒトの皇位を請求」、「皇位の回復を554年待った!」などであった。昭和天皇の全国行幸と同じ様に「熊沢天皇」も侍従まで引き従えてGHQのジープまで使って行幸したと言われている。その頃、子供の間でも行幸遊びが流行った。どの地方でも昭和天皇の行幸の話が残っている筈である。昭和天皇が好物を聞かれて「ウナギ」とお答えになったところ、行く先々で毎日毎日ウナギ攻めだったそうだ。それ以後、質問にたいするお答えが「アッソウ」というお答えになったと聞いている。

不敬ながら子供の遊びでも「アッソウ」も流行った。「熊沢天皇」の出現は歴史を考えるために、ちょうどよい機会だったと思う。熊沢天皇の言う通り544年前からのルーツを辿るならほとんどの日本人は同祖同根と言う事になる。一説によると、日本列島で生活した人数は、およそ五億人だそうだ。2,4,8、16、32、64、128・・とネズミ算で計算してみると、とんでもない数字が出てくる。桓武天皇から出た平氏や清和天皇から出た源氏の末裔はもはや数千万人になるのではないだろうか。いまだに、全国いたるところに平家の落人部落が伝説として残っている。まことに、なにひとつ壊さず残した先人に感謝せねばなるまい。その後、「熊沢天皇」の消息は知れないが、まだ連綿と子々孫々と続いていることだろう
posted by 語り部同人 at 16:01| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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