2008年07月25日

“出羽の守”の話

                   2006/11/13 05:00

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染井吉野の発祥の地である巣鴨の桜は、花冷のおかげで今年は、有難いことに強風にも耐えて例年よりもかなり長持している。毎年、我国では桜と共に新しい事柄が始まる、山の神様である桜を田圃に供え、田の神様を招いて田植を始める国である。まさに、桜は事の始まりを象徴する花と言える。入学,入社や事業年度も4月を以って始まる。桜前線という気温を示す目印でもある。古くは、西行法師が「願わくは 花の下にて我死なん その如月の望月のころ」と詠んでいる。桜は咲くもよし、散るもよしの花である。

ところが、外国では入学,入社、事業年度などは、みんな9月から始まるのだから日本も国際化に合せて9月を年度の開始にしよう、といっている評論家とかコメンテイターという輩がいる。昔、外国に行くことを外遊と言っていた時代には「外国では・・」「アメリカでは・・」「フランスでは・・」という“出羽の守”という連中が沢山いたが、この頃、またぞろ「出羽の守」が増え出してきた。新たに“中国出羽の守”や“韓国出羽の守”まで出現してきた。“中国出羽の守”や“韓国出羽の守”は、どこのお国の人かと思えるほど日本を悪し様に罵る。

ただ、“出羽の守”諸君の発言はなかなかどうして立派な反面教師として役立っている。彼等が言えば言うほど物事の真実がシッカリ見えて来るあたりが面白い。“日本では”茶室での会話の心得として言ってはいけない暗黙の禁句がある。「我が仏 隣の宝 婿舅 天下のいくさ 人の善し悪し」という。一般でも日常的に守りたいものだが、なかなか守るのは大変だ。これを守れば、テレビも週刊誌もタブロイド紙も無くなってしまう。

「我が仏」とは、自分の信じる宗教、「隣の宝」とは人様の財産、「婿舅」は今では「嫁姑」ということだろう、「天下のいくさ」とは政治向の話ということになろうか、「人の善し悪し」は今では「男と女」といったところだ、テレビが最も得意とする分野でもある。まあ、ほどほどのガイドラインを以って互いに傷つきあわない様にしよう、とする先人の知恵といえよう。最低限「中国出羽の守」や「韓国出羽の守」の諸君は、諸君の宗主国に我国の格言「我が仏 隣の宝 婿舅 天下のいくさ 人の善し悪し」を教えてやっていただきたい。せめて“我が仏”だけには、絶対に手をかけるな、と。くれぐれも,礼節と節度とコモンセンスをお忘れなきように。
posted by 語り部同人 at 16:09| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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