2008年07月25日

“三の酉”と“蛭子”さん

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ことしの“酉の市”も先月の28日の“三の酉”をもって終った。これで、東京でも本格的に冬の到来ということになる。巣鴨にも大鳥神社という“小さいお社”があり、毎年恒例の“酉の市”が立つ。今年の“三の酉”は、雨で心配されたのだが夕刻から雨も上がり、久しぶりに大変な人出であった。“小さいお社”ながら“酉の市”の露店は狭い路地をギッシリと埋め尽くしている。商売繁盛の神様ということで、かっ込みの“熊手”が大小所狭しと並んでいる。三、三、七拍子の手拍子がにぎやかに聞こえる明るい祭りである。もともと、この界隈には大塚の三業地があり花町のにぎわいを見せていたという。かの幸徳秋水も大塚三業地の遊郭に入り浸りながら“女性解放運動”をしていたという逸話も残っている。

関東では“酉の市”というが、全国的には“えびす講”という言い方が一般的である。いずれにしても“えびす様”をおまつりする祭りである。

ところで、先日の新聞でテレビでもお馴染の漫画家の“蛭子”さんが結婚する、という記事をみた。テレビで春風駘蕩としたキャラクターでよく登場する。苗字を耳で聞いていた時は何とも思わなかったが“蛭子”という字をよくよく見ると、とても“エビス”とは読めない。普通に読むとどうしても“ひるこ”である。

“ひるこ”と読んでやっと“えびす”の由来に気がついた。出典は“古事記”であろう。“古事記”には、天地開闢から日本列島の形成と国土が整備されてゆく様子が語られている。いわゆる“日本神話”である。“あめつちの始めの時”いろいろな神様が生まれ、その最後にイザナギ(男)イザナミ(女)が生まれた。二神は高天原から地上世界に降たつのである。“イザナギ”と“イザナミ”は、全く自然に自分の体を確認する、そして“イザナギ”は自分の体が“成り成りて成りあまるところ”があることに気がつく、“イザナミ”は“成り成りて成り合わぬところ”ありと気がつくのである。お互いの存在の確認であり“ジェンダー”は“フリー”ではない。

そして“まぐあう”のである。(昔はマグアウという漢字があったが、今は辞書にも見当たらない、本当は女偏に溝と書く。字を見た通りで分かりやすかったのに残念である。)しかし“まぐあい”の作法にかなわず、不具の子が生まれる。これが“蛭子”である。この子を水子として水に流すのである。この神話を悲しんで日本全国、この水子の“蛭子”が“えびす様”になって戻ってきたという伝説が各地に残っている。

ついでながら、放送禁止用語の第一位に位する“卑猥”の4文字“00んこ”もここから由来する。“まぐあいっこ”の鼻音の“グ”が“ン”に変化したものであろう。はじめて、古事記を読んだ時に気付いていたが学者先生も“恥ずかしい”のか誰も言わないので私が書く。古くから伝わる“由緒正しい”日本語である。最後の“コ”は平安朝のころの宮廷用語では言葉の最後に“コ”をつけるのが流行ったらしい。このことは、夢の中で清少納言と紫式部に教えてもらった。今では東北にだけ、この名残が吹溜まって残っている。東北では何にでも“コ”をつける。動物の子供を言う時がなかなか面白い。犬っこの子っこ、猫っこの子っこ、馬っこの子っこ、熊っこの子っことなる。

posted by 語り部同人 at 16:21| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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