2008年07月25日

八月十五日の“手紙”

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今年の終戦記念日も例年どうりの晴天であった。過去62年間、どういうものか曇りにあたった記憶がない。抜けるような青空と真黄色な向日葵と蝉時雨が自分にとっての八月十五日の記憶である。あの日とまったく同じ天気でおんなじ風景である。おなじ青空でも八月十五日の青空は妙にもの悲しく感じられてならない。今日、時あたかもお盆の真っ只中である。

今年の終戦記念日にむけて、産経新聞では8月1日から15日まで大戦末期に生還できないことをわかって出撃した兵士が、家族にあてた“最後の手紙”(遺書)を紹介していた。この15通の手紙は靖国神社の社頭に月替わりで掲示されたものだ、という。この“手紙”をぜひ多くの人にも読んでもらいたいとおもって引用したいとおもう。
かつて、名コラムニストの山本夏彦氏は「人間は二度死ぬ、一度目は普通に言うところ死である。だが人間はそれだけでは死なない。人の記憶のなかで生きつつ”ける。ほんとうの死とは人の記憶から消えたときである」という。せめて終戦記念日の“八月十五日”だけでも静かに御魂を祭ってあげたいものである。

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                   最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

  海軍兵曹長  近藤八郎 命(みこと)
  第66警備隊 昭和19年2月6日 マーシャル群島クェゼリン島にて戦死
  長崎県出身  27歳

短期間の実に楽しい結婚生活であった。厚く御礼を申す。俺も此の度は生還は帰し難し。武人の妻として誇りを持ち絶対に取乱してならぬ。七転八起の精神を振ひ起し、世の荒波を乗切る様。くどい事は申さぬ。幾時も申していた言の葉を思い起こし、老先短き両親に仕える様。尚坊やの顔も見たいけど致方ない。清く美しく育てて呉れ。男子の場合は姓名近藤征一郎。女子の場合は姓名近藤洋子と命名して呉れ。暑さ寒さに留意され自愛専一に。二十二日夜認ム 
                                      敬具
                       夫より    マスエ殿 
       (靖国神社・平成十八年四月社頭掲示)
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                   最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

  陸軍中佐  沼田正春 命(みこと)
  昭和19年12月2日 レイテ島リモン西南方面にて戦死
  神奈川県出身  31歳

大命に依り、父は沢山の将兵をお預かりして、更に更に難しい戦場に赴く事となった。故に多忙中であるが一言申し述べて置く。 
若し父亡くしても、節夫には立派な祖父母があり優しい母がある。お世話下さる叔父や叔母がある。又幾百年来の先祖がお前の事を一生懸命見ていて下さるのだ。それ故、皆に有難く感謝しつつ安心して征くのである。祖父母や母の教えに従がい清く正しく如何なる事にも負けぬ強さ優しさを持って育てよ。
父の骨は遥か南の果てに埋まるとも、常に常に、お前が成育する勇姿を見守っている。秋色濃き孫呉の平原に虫声も寂しく、北斗星は真上に輝き、月は興安嶺の彼方に傾く。冷気強き灯火に下、遥かにお前の姿が目に浮ぶ。どうか祖父母を大切に母を労わるよう。他の事は祖父母様お母さんよりお聞きなさい。

         (靖国神社・平成十七年八月社頭掲示)
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                   最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

  陸軍中尉  山下 瀞 命(みこと)
  昭和19年12月7日 サイパン島にて戦死
  静岡県出身  23歳

  父上母上様 

瀞は幸者でした 喜んで笑って行きました 最大の親孝行も致しました 安心して行きました
専門教育迄受けさせて戴き我儘をやって来ました
故郷の山河、浜名の湖水に、遠州灘に、瀞の魂は幸福に寝っています。
姉様楽しき日を御祝致します
満雄、後は頼んだぞ 士郎、俺の分まで孝行してくれ 益雄、しっかり勉強して偉い人になれよ 多可士、御母様の手伝をしなさいよ 悟朗よ、益雄、多可士の面倒を見てやれよ
瀞様は皆を何時もあの青空で見ていますよ

     一億の人に一億の母あれど  吾が母に優れる母あらめやも
御母様古賀幸子様に宜しく御伝へ下さい
                        では さやうなら

       (靖国神社・平成十九年一月社頭掲示)
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                                                                                                          最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

  海軍小佐  久保田 長 命(みこと)
  特設潜水母艦靖国丸
  昭和19年1月31日 トラック諸島西洋上にて戦死
  茨木県出身  45歳

応召以来満一ヵ年ではあるが、及ばず乍ら日ごろの体験と努力とによって、思う存分忠勤を尽くして来たと確信する。
                   (中略)
靖国丸の航海長として応召し、靖国丸と共に働き、死して靖国神社に祀られる。これ以上の名誉があらうか。
一生を契って十幾年、随分苦労も多かったらう。然し満足に生育して行く子等に就いては些かの心配もない。我が亡きあとは定めし骨も折れる事だらうがよろしく頼む。我れ戦死すと雖も霊は常に御身を守っている。
決して悲しんでくれるな、むしろ喜んでくれ。
                               さらば
              昭和16年12月6日  長 出
  
  淨子様
               (最後の日迄開封すべからず)

       (靖国神社・平成十八年二月社頭掲示)
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                                                            最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                    
  海軍工作兵曹長  小笠原嘉明 命(みこと)
  戦艦大和乗艦
  昭和20年4月7日 九州坊ノ岬南方沖合にて戦死
  愛知県出身  29歳

我、軍人としての本分を立派に果たし、神風大和艦上に最後を飾るは、我、無上の上誉れと深く心に銘記し笑って死すものなり。 
御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座居ます。夫婦の契りを立て、二世を誓いし以上は、我と一心同体なりし事は申すまでもないと存じまする。ましてや我は国難に殉じる軍人です。其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、此に一言遺書を記すものなり。                 (中略)
一、里へ帰るも可なれど、里方御迷惑せられますれば、我家にいては居辛く本人としては我家を出て静かに自活したき希望なれば、本人の希望通りに自力自活の道を進む様御願ひ申し上げます。其の上にて再婚の道有ればお進め下さい。再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置いて戴きたく御願ひ申し上げます。
一、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思へばだんだんと遠ざかり、可愛がれば愛子とても孝養せなくてはならなくなると我は存じますれば、嫁と思はず、我子と思われまして可愛がって下さいます様御願ひ申し上げます。(後略)
         (靖国神社・平成十九年三月社頭掲示)
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                                                             最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                    
  海軍工作兵曹長  小笠原嘉明 命(みこと)
  戦艦大和乗艦
  昭和20年4月7日 九州坊ノ岬南方沖合にて戦死
  愛知県出身  29歳

我、軍人としての本分を立派に果たし、神風大和艦上に最後を飾るは、我、無上の上誉れと深く心に銘記し笑って死すものなり。 
御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座居ます。夫婦の契りを立て、二世を誓いし以上は、我と一心同体なりし事は申すまでもないと存じまする。ましてや我は国難に殉じる軍人です。其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、此に一言遺書を記すものなり。                 (中略)
一、里へ帰るも可なれど、里方御迷惑せられますれば、我家にいては居辛く本人としては我家を出て静かに自活したき希望なれば、本人の希望通りに自力自活の道を進む様御願ひ申し上げます。其の上にて再婚の道有ればお進め下さい。再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置いて戴きたく御願ひ申し上げます。
一、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思へばだんだんと遠ざかり、可愛がれば愛子とても孝養せなくてはならなくなると我は存じますれば、嫁と思はず、我子と思われまして可愛がって下さいます様御願ひ申し上げます。(後略)
         (靖国神社・平成十九年三月社頭掲示)
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                                                             最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                    
  海軍少尉 服部壽宗 命(みこと)
  神風特別攻撃隊「菊水部隊天櫻隊」
  昭和20年4月16日 南方諸島方面にて戦死
  三重県出身  

  節子殿 

兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機電撃機天山に特攻用爆弾を抱きて命中、男一匹玉と砕け散るのだ、最後にのぞみ一筆書遺し置くことあり。
          節子も今では立派な可愛い女学生となったことであろう。兄は節子の女学生姿が見られずに死んで行くのが残念だ。兄の一人ぐらいが死んだとて何も悲しみなげく事はない。      
兄は喜んで天皇陛下の為め、重大危機に直面して居る日本の為め、一億国民の盾となって散って行くのだ。少しも悲しまずに笑って兄の魂を迎えて呉れ。(中略)兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いている。裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。櫻が咲いたら兄だと思って見て下さい。
             さやうなら。母上を御願ひ致します。
                                 出撃前夜 兄
                                 親愛なる妹 節子殿            (靖国神社・平成十五年四月社頭掲示)
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                 最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                    
   海軍少佐  篠崎真一 命(みこと)
   昭和19年6月29日 内南洋方面にて戦死
   東京都出身  二十四歳 

  玲子
玲子は日本一、否世界一の妻なりと思っている。苦労のみかけ、厄介ばかりかけ、何等尽くし得なかった事済まなく思っている。 
四月十五日以来僅かな月日であったが、私の一生の半分に値する月日であった。父母に孝養を尽くしてくれ、私の分迄。
私に逢い度ば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きている。
結婚のすべての手続き、六月十二日に横空で完了して置いた。くれぐれも後を頼むよ。私の出来なかった事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸せを感謝している。最愛の玲子、御身を常に見守っているよ。
                                出撃前夜
                                  海軍大尉 篠崎真一
         (靖国神社・平成十八年三月社頭掲示)
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                最後の手紙 
            千の風になった御霊(みたま)たち
   海軍大尉  林 市造 命(みこと)
   昭和20年4月12日 西南諸島方面にて戦死 
   福岡県出身  23歳 京都帝国大学 海軍第十四期飛行科予備学生
                             
一足さきに天国に参ります。
天国に入れてもらえますかしら。お母さん祈ってください。お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。お母さん、さようなら。

・・・・・ 母マツエさんの手記・・・・
泰平の世なら 市造は、嫁や子供があって、おだやかな家庭の主人になっていたでしょう。けれども、国をあげて戦っていたときに 生まれ合わせたのが運命です。
日本に生まれた以上、その母国が、危うくなった時、腕をこまねいて、見ていることはできません。そのときは、やはり出られる者が出て防がねばなりません。

            一億の人を救ふはこの道と
                   母をもおきて君は征きけり
           (靖国神社・平成十四年六月社頭掲示)
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                  最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                               陸軍衛生少尉     谷口 吉元 命(みこと)
       昭和20年2月27日 フィリピン群島ルソン島クラーク方面にて戦死
   三重県出身  二十九歳

いよいよ 動員下令になった 明日又は明後日は出発する事と思う 男子の本懐之に過ぎるものはない 勇躍して征途に着く 目的地は日米の決戦場「レイテ」島であろうと予想せられる お前の最後の手紙を今日手にした女々しいかもしれぬが持参して行く 恵まれぬ夫婦生活だったね しかしくれぐれも体を大切にして父母上の事を宜しく頼む 又子供の養育を御願ひする
私は今お前の強い 意志を信じて心置きなく大命の下 決戦場に身を挺する事が出来る 運命は神が支配せらる 私の肉体は何処に在ろうとも 心は必ずお前達母子三人の上に永遠の幸福を祈りてあるぞ(中略)
くれぐれも御自愛を祈る
                久子殿
                                  吉元
                                                   (靖国神社・平成十六年十一月社頭掲示)
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                  最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち
                                               陸軍大尉     横山 善次 命(みこと)
   昭和20年8月13日 犬吠埼東方洋上にて戦死
   茨木県出身  二十二歳
私は突然征く事になりました。何も言ひ残す事は有りません。只戦が勝つまで頑張って下さい。充分健康に注意して・・・。
私は必ず立派に目的を達成します。私が今頃只本当に御両親様に御世話になり、又数々の御心配をおかけした事は御許し下さい。今迄御両親には何とかして安らかな生活をさせたいと思って居りました。それも出来ませんでした。愚人の空想でした。
ホンノ少しでは有りますが、このトランクに入って居る品、私が一生懸命にためたものです。食べたかったのを食べずにためました。
大きな箱の中に入って居る清酒其の他の品は、七月三十日、出撃準備命令と同時に出撃者のみ頂いたものです。生缶等皆様と一緒に食べたかったのですが、それもできませんでした。本当につまらぬものばかりですが、これが私の最初で最後の心からの品です。箱の中の品は私の写真と一緒に食べて下さい(中略)。
では皆様、充分健康に注意され、最後まで頑張って下さい。私は立派にやります。
さやうなら
              (靖国神社・平成十五年八月社頭掲示)


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             千の風になった御霊(みたま)たち
   陸軍大尉 川合四郎 命(みこと)
   昭和20年6月16日 沖縄にて戦死
   東京都出身  36歳
お手紙ありがたう。東京も梅雨がもう少しであけるさうですが、防空壕の中に水がたまってさぞ困るでせう。防空壕の上の木にもやがて蝉がみんみん鳴くことでせう。
こうして手紙をかきながら眼をつぶりますと、そのときの光景は見へるやうです。もう今頃は一学期も終わりに近つ”いて水泳のできる頃になりましたが、お父さんが居れば多摩川へでも行って泳ぎを教へてあげるのですが、満州にいてはそれもできず残念ですね。 
お手紙を見ていますと文章は短いですが、誤った字もなく仲仲よくかけています。毎日どんなにしているかよく分かります。その調子で良く勉強するんですよ。 (中略) 
昔の武士の子供は腹がすいても「ひもじい」と言っては親からしかられたものです。では今日はこれで終わり。 
                                さようなら 
   お父さんより      雄二郎君 
                                                                                                   (靖国神社・平成十五年八月社頭掲示)
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                                                              最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

    陸軍大尉  枝 幹二 命(みこと)
    昭和二十年六月六日 沖縄方面にて戦死
    富山県出身  二十三歳

六月六日
あんまり緑が美しい 今日これから死に行くことすら忘れてしまいさうだ  真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲 六月のチランはもうセミの声がして夏を思はせる
   “小鳥の声がたのしそう 俺もこんどは小鳥になるよ”
日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云っている笑わせるな
本日十四、五五分
いよいよ知ランを離陸するなつかしの祖国よ さらば
使ひなれた万年筆を“かたみ”に送ります。
             (靖国神社・平成十五年六月社頭掲示)
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               最後の手紙
             千の風になった御霊(みたま)たち

  海軍上等主計兵曹  白井 武男 命(みこと)
  軍艦摩耶乗員    昭和17年11月14日 ソロモン諸島方面にて戦死
  茨木県出身     21歳

(前略)
かわいい弟達、我が家には我が家のハッキリした精神がある。何年か後は貴殿等も軍人に成るはずなり。それまでは一心不乱あの精神守り通すべし。
  (中略)
軍人としては戦場に臨むからは万一の場合を予期せねば成らん。されど幸いにして永らえる者は必ず白井家の意思をガッチリと後世に申し送るべし。父母の孝養にいそしむべし。父母の心安んずる事が子としての最大の孝行なる。困しさも難しい所を笑って切りぬけるべし。己を困難は練磨してくれる。御互に口をつつしむべし。口はわざわいの素なり。一家の秘は決して外言するべからず。功をほこらず。死を悲しまず、武人の家人らしくすべし。涙は絶対禁物なり。泣くは子供の時なり。泣く分笑ふ事が第一なり。絶対軍人の家人らしく態度を保持すべし。
              (靖国神社・平成十八年四月社頭掲示)

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             千の風になった御霊(みたま)たち

  陸軍中佐  伍井 芳夫 命(みこと)
  特別攻撃隊第二十三振武隊 昭和20年4月1日 沖縄慶良間海上にて戦死
  埼玉県出身  32歳

親愛ナル真智子智子ヨ オ父サンハ 大東亜戦争ノ勝利ノ為 昭和二十年ノ春 特別攻撃隊第二十三振武隊隊長トシテ 日本男子ノ最大ニノ誉ヲ得テ立派ナ戦果ノ下ニ散リマス 
オ父サンハ 姿コソ見エナイケレド 護国ノ霊トナッテ 何時マデモ何時マデモ生キテ居リマス
真智子モ智子モオ母サンノ謂ヒ付ヲ守ツテ立派ナ人トナリナサイ 弟ノ芳則ヲ援ケテ軍人ノ遺族トシテ立派ニ成人シテ下サイ オ母サンハ オ前達ノ養育ノ為 言葉ニ云ヒ表セナイ非常ナ苦労ヲシテ来タノデス 大キクナツタラ此ノ御恩ヲ忘レズ必ズ孝行シテオ母サンヲ楽ニシテ差上ゲナケレバイケマセン 
オ父サン オ前達ノ成長ヲ見守ツテオリマス 良ク勉強シテ立派ナ人トナリナサイ 病気ニナラナイ様体を丈夫ニナサイ
            真智子智子殿      父ヨリ
                                                                                                 (靖国神社・平成十五年五月社頭掲示)
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                                                              最後の手紙 
             千の風になった御霊(みたま)たち

    海軍大佐  堀内 豊秋 命(みこと)
    昭和二十三年九月二十五日 セレベス島メナドにて法務死
    熊本県出身  

(前略)
人がなんと言っても恥ずかしいことはありません。皆母様の教えを守り良く勉強をし、立派な人になってください。日本を救う道は立派な人間になること、よく学問して、偉くなることです。体は若いうちに作らねば後で後悔します。監房の生活は少しも苦しくないからお父様のことは全く心配いりません。お父様に対する孝行は、ただ勉強して立派な人になることです。特に一人息子の一坊は一家の柱です。呑気すぎてはなりません。それでこせこせしたり、卑しくなってもいけません。(中略)
くれぐれも心配するな母ちゃん。少しでも仕事があるようなら知らしてくれ。筍生活には限りがある。小生の帰り何時か解らん。健康に特に気をつけ無理するな。
神の正しい裁きを待つばかり。
                         下壽殿 一坊外子供達一同殿
             (靖国神社・平成十五年五月社頭掲示)
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posted by 語り部同人 at 16:30| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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