2008年07月25日

映画“南京の真実”と“愛国の花”

FI109511051_0E.jpg                  2008/03/10 20:18

先日、文京シビックセンターで水島総監督作品の映画「南京の真実」・第一部“七人の死刑囚”の試写会を観賞する機会にめぐまれた。当日、桜井よしこ氏、三宅久義氏ご夫妻も来場されていた。

この映画は三部作になる予定であるという。その三部作の第一弾として極東軍事裁判において“平和に対する罪”という事後法によって死刑になった“七人の死刑囚”が絞首刑になるまでの模様が花山信勝教誨師との会話をとうして克明にえがかれている。

映画は日本の敗戦が色濃くなった昭和20年3月10日の東京大空襲の実写映像からはじまる。この夜、一夜にして十万人の東京都民が無差別爆撃で亡くなった。さらに八月6日には広島、八月9日には長崎への原爆投下により30万人の市民が亡くなる。

これをおおい隠すように、極東軍事裁判において突然に南京において大虐殺があったと告発されたのである。これが“南京大虐殺”という虚構の始まりである。日本が南京を陥落させたのは、日米両国が干戈をまじえる四年も前の出来事である。

“事件”があったという昭和12年から昭和20年の終戦にいたるまで、中華民国政府も中国共産党も、欧米政府も、まったく取り上げなかった“事件”であったのである。

しかし、極東軍事裁判において南京攻略戦の軍司令官だった松井石根大将は、その戦争責任を問われ絞首刑となった。

「南京の真実」第一部“七人の死刑囚”は、この大将松井石根軍司令官を主人公として当時の実写フィルムを交えて構成されており、これらの映像が書籍からはうかがい知る事の出来ないような事実関係を如実に物語っている。この映像は、日本国民のみならず、世界中の人々にもぜひ見てもらいたいものである。

南京陥落の翌日昭和12年12月14日には、早くも記録映画撮影隊や日本および各国記者団が南京に入っている。そしてその翌日である15日からお正月にかけて撮影隊は、南京城内の様子をくまなく撮影している。すべて広角レンズで隠し立てなく撮影されたその模様は、いたって平穏そのものである。

しかしアイリス・チャンや南京大虐殺を既成事実化しようと躍起になっている中国政府は「三十万人虐殺、八万人強姦」説をいまだに言いつのっている。

南京陥落の直前の人口は二十万人だと国際委員会はいっているが、それが南京陥落の一ヵ月後には二十五万人に人口が増えているということである。このことは南京の治安がよかったという証左ともいえる。

当時撮影されたフィルムの中でも良民証という身分証明書を貰うために長蛇の列をなしている穏やかな表情の中国人が写し出されている。それを四人ずつ並ばせて整理している日本兵は全員兵器を一切もたずに丸腰で警備にあたっている。
松井石根大将は南京陥落の直後に奈良38連隊・津32連隊の二個連隊から4000名の兵だけを南京の警備に残してその他の部隊は他の戦場に転進させているのである。

警備に残った4000名の兵で25万を警備していたことになる。その兵がその後年末年始にかけての数週間で三十万人を虐殺し八万人の女性をレイプできるものであろうか。とうてい考えられない所業と言わねばならない。

南京城内の映像には年末でお正月の準備をする部隊の様子が映し出されている。また日本の従軍看護婦が傷病兵を看護する姿や兵とともに記念撮影をしている穏やかな場面も映し出されている。

さらに、蒋介石政府は、南京陥落の後の十ヶ月の間に、毎日のように外国人記者会見をし、その数三百回もあったという。しかし、「南京で何がおきたか」という事に関しては一切言及していないのである。

このような内容をナレーションによらず、字幕だけで訴えかけていた。映像の力と文字の力が相まって強烈なインパクトがあった。
私もいままで書籍の上で“南京”について読んで知っていたつもりであったが“百聞は一見に如かず”とはまさにこのことである。あの記録映像を見て“南京の真実”を正しく理解することができた。

この映画“南京の真実”の圧巻は被告側アメリカ人弁護士ブレークニーが東京極東裁判の無効と被告達の無罪を主張する実写場面である。
「キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪ならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げることが出来る。投下を計画した参謀長の名前も承知している。その国の元首の名前も承知している。・・・この裁判はその人たちが裁いているのだ」と。(映画南京の真実より引用)

映画の最後に渡辺はま子の“愛国の花”が突然流れ出した。渡辺はま子が歌うこの歌を聴いたのは本当に久しぶりである。私にとってこの歌は、子供のころ毎日聴いていた懐かしい歌でもある。

終戦間際のころ、私の家の前にある洋裁学校の生徒たちが昼休みに毎日歌っていた。なぜか毎日おなじように三曲歌っていたことを覚えている。はじめに従軍看護婦の歌である“従軍婦人歌”、つぎに“蘇州夜曲”、最後に“愛国の花”が歌われていた。彼女達の声が子供心にも天使の歌声におもえたものである。

ところが、このすばらしい歌が毎年年末の恒例になっている“懐かしのメロディー”に登場しないのだ。長い間、この事を疑問におもっていたのだが、櫻井よしこ氏の著書を読んで合点がいった。

この歌は終戦直後、一時、NHKのテーマミュージックになっていたという、そして当時GHQでも非常に良い曲だということで何の問題もなかったということである。しかし、この曲は戦時歌謡だとGHQに“御注進”した者がいたという、いわゆる“チクリ”である。そのため、その後この曲が封鎖されつつ”けたのだということだ。

江藤淳がいうところの「閉ざされた言語空間」が歌にまで及んで今日まで続いていたとは驚きである。

ついでながら“愛国の花”の歌詞を書き添えます。いちど口ずさんでみてはいかがでしょうか。

1

真白き富士の けだかさを  こころの強い 楯(たて)として

御国につくす 女等(おみなら)は  かがやく御代の 山さくら

地に咲き匂う  国の花

2

老いたる若き もろともに  国難しのぐ 冬の梅


63年前、こんなメロディーで愛国の花を歌っていました。
“愛国の花”のメロディー


posted by 語り部同人 at 16:37| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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