2009年02月02日

巣鴨に残る“食事訓”

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あるお年寄から、「ところで、あの食事訓は、いったいどうなったんでしょうね、まだ覚えていますか?」と聞かれた。
久しぶりに“食事訓”という言葉を聞いた。
知っているもなにも、いまでも食事のたびに口には出さながよく心の中で唱えている。たぶん、年配者のほとんどの人がいまだに記憶していることだと思う。
巣鴨にお参りに来られるいろいろな人達に聞いたところ“食事訓”を知っている年令の分岐点は、70才といったところだった。
かつては、“いただきます”をいう前に祖父母や父母の口まねで“食事訓”を唱えた。「箸とらば 天地御代(あめつちみよ)の御恵み(おんめぐみ) 父母や衆生(しゅじょう)の ご恩味わい」というものである。
地方によっては、いくぶん言い方や言い回しが異なるようであるが、その意味するところはまったく同じである。

ところが70才以下の人達がこれを知らないのは“食事訓”も“いただきます”も宗教的であり、上下の支配関係を示すものだ、ということで、いわゆる“進歩的教師”たちが学校で子供たちに禁じたことによる。
子供は、家に帰り学校で教わったとうり、「食事訓は悪いことだ」という。私もそのように言った覚えがある。今考えると、子供を人質に取ったこの“食事訓”つぶしは“国旗”や“君が代”をつぶしたと同じように大成功に終わった。
だが、さすがに“いただきます”は、つぶしそこねたようだ。しかし“食事訓”は、いまでは確実に跡形もなく消えてしまったといういうわけである。

当然、現在4050才の世代の人達に我々は伝えそびれてしまった。まして、20歳以下の孫の世代などは、これを知るよしもない。

外国映画を見ると食事の前にあたりまえのように神に祈りを捧げる。それが、あたりまえで自然な光景である。とくに宗教的というほどのものでもあるまい。若者の中には、よく自分は無宗教だ、と平気でいう者もいるが、そんなことは決してない。自分で気つ”かないだけである。
元旦には、鎮守の森の氏神様にお参りする。家の玄関先には、ご先祖が集う“依り代”の門松と注連縄を飾り、御供をそなえる。
いまでも町工場では、動く一つ一つの機械に御供えをそなえるという。大手の会社でも工業用ロボットにさえお供えを供えると聞く。マイカーにお飾りを付け、高尾山で安全祈願をする。子供でさえ自分“シマノ”のハイテク自転車にお飾りを付け正月を迎えるほどである。春には、田の神様に五穀豊饒を祈り、早乙女が田植えをする。
山開き、海開きまた然り。地鎮祭のない建築工事はない。科学の最先端の原子力発電所の建設でさえ地鎮祭を行う。このあいだ打ち上げに成功したロケットの場合どうだっただろう。何もせずに、宇宙の大空の大自然に向かって打ち上げるほど傲慢不遜ではあるまい。
鯨塚を造り、針供養をする。田舎に行くと、よく見晴らしの良い南斜面に馬頭観音がある。古老の話によると、天明の飢饉の時不本意ながら先祖が食べた償いだという。
熊を狩るマタギは、熊が遡上するサケを沢山食べられる様に、上顎と下顎を川の両岸に供えるそうだ。宗教律とか道徳律が生活と渾然一体となり、伝統 文化 習慣 風習 風俗の形を取っているから実感がないのかも知れない。

名著“日本人とユダヤ人”の著者イザヤ・ベンダサンこと山本七平が著書の中でこんな面白い逸話を紹介している。
エジプトで発掘調査をしていた日本人十数名が、来る日も来る日も白骨ばかり出るので一人また一人と倒れる。カイロの病院で調べるが、全員異常は、認められない。そこで、急遽日本から神主を呼び、お祓をしてもらったところ全員ケロリと完治したという。
その調査隊は、全員キリスト教徒ということである。これは日本人の宗教観をとても良く表わした逸話であるとおもう。

巣鴨の“とげぬき地蔵尊”がにぎわっているのも単純にして明快に心に積もる“心のトゲ”を抜いてくれるからである。これで救われている人が、数多くいる。“これでホットした”と言う人が沢山いる。

食事訓が、いまさらどうなると言うものでもないだろうが、むかし“食事訓”という習俗というか美俗というか、そんなものが有ったことをご記憶いただきたい。

「箸とらば天地御代の 御恵み 父母や衆生のご恩味わい」
posted by 語り部同人 at 17:28| 語り部倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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